AIで仕事が速くなっても、その成果は会社に残るのか――「組織資本」から考えるAI投資の長期的な価値
AIを使いこなす社員が増えれば、仕事は速くなるかもしれません。しかし、その社員が異動や退職をしたあと、会社には何が残るのでしょうか。
2026年8月、米国の全米経済研究所(NBER)は、AI関連人材への投資と企業の生産性を分析した研究「Canaries in the Gold Mine」を公表しました。研究が注目するのは、AIの利用そのものに加え、企業の中に蓄積される「組織資本(Organization Capital)」です。
これまでAI投資の効果を考える際、時間短縮や費用削減に目が向きがちでした。今回は、もう一歩先の問いを考えます。AIによって得た知識や仕事の仕組みは、次の仕事にも使える会社の能力になっているのか。
1. 優秀な社員がいても、会社が強いとは限らない
例えば、ある営業担当者がAIで提案書を作成し、以前より短時間で仕上げられるようになったとします。本人の生産性は上がっています。しかし、使い方や顧客への対応判断が本人の頭の中にしかなければ、ほかの担当者は同じ成果を再現できません。
一方、顧客の質問にどう答えるか、どの資料を参照するか、どの条件で上司に相談するかが整理され、チームで利用できるようになれば状況は変わります。担当者が替わっても、一定の品質で仕事を進めやすくなるからです。
このような企業固有の仕事の進め方や知識を考えるうえで役立つのが「組織資本」という概念です。今回の論文では、組織資本を、仕事を通じた学習によって蓄積され、生産活動を効率的にする、持続的で企業固有の知識・能力と位置づけています。
具体的には、業務手順、判断基準、情報共有の仕組み、社内システム、社員同士の連携、特定企業の仕事に精通した人材の知識などが該当し得ます。組織資本は以前から経済学で研究されてきた概念であり、会計上の貸借対照表に記載される資産額と同じではありません。
注意したいのは、組織資本が必ずしも文書やシステムだけに存在するわけではないことです。重要な社員の中にある、その企業に固有の知識も含まれ得ます。ただし、その人だけに集中していれば、退職時に失われるリスクがあります。ほかの人にも使える形にすることは、組織能力を長く生かすための一つの方法です。
2. AI人材を増やした企業では、生産性はどう変わったのか
NBERの研究が明らかにしたのは、AIに関わる人材が増えた企業で、近年になって生産性の伸びが見られるようになったことです。そして、その伸びはAI人材の仕事内容によって違いがありました。
研究者たちは、米国の求人情報と社員の職歴、上場企業の財務データを組み合わせ、2010~2024年の変化を調べました。企業の「AI投資」は金額ではなく、従業員のうちAIの開発や社内導入などに携わる職務の割合で捉えています。つまり、AIを使うための社内人材をどれだけ増やしたかを手掛かりにした研究です。
まず、2010~2018年には、AI関連職務の割合が増えた企業ほど生産性が伸びるという明確な関係は見られませんでした。ところが、2018~2024年には、その関係が統計的に確認されました。
具体的には、AI関連職務の比率の増加幅が標準偏差1単位分大きい企業では、6年間の従業員当たり売上高の成長率が6.2ポイント、従業員数や設備などの投入量を考慮した「全要素生産性」の成長率が7.5ポイント高いという結果です(論文Table 2)。「標準偏差」は企業ごとの増加幅のばらつきを表す統計上の基準です。つまり、AIに関わる人材の割合を相対的に大きく増やした企業ほど、従業員1人当たりの売上高や企業全体の生産性が大きく伸びていたということです。AIを導入すれば売上が6.2%増える、という意味ではありません。
では、AI人材が増えれば、それだけで生産性は高まるのでしょうか。研究者たちは、AI関連職務をさらに二つに分けました。一つは、社内で繰り返し使えるデータ基盤や業務システム、企業固有の判断モデルなどを作る仕事。もう一つは、個別案件の分析や単発のモデル開発など、継続して使える会社固有の仕組みを必ずしも残さない仕事です。
職務記述から分類すると、組織資本を形成する仕事に該当したのはAI関連職務の約58%で、非AI職務では31%でした。さらに、組織資本を形成するAI関連職務が増えた企業では生産性も伸びていた一方、それ以外のAI関連職務では統計的に明確な関係が確認できませんでした(論文Table 6)。
この結果から考えたいのは、AI人材を何人増やしたかだけではなく、その人材が会社にどのような能力を残しているかです。ただし、後者に分類された仕事にも個別案件の収益などの価値はあり得ます。また、本研究は米国上場企業の社内AI開発・実装を主に捉えたもので、一般社員による外部AIツールの利用効果や、AI研修の投資対効果を直接示したものではありません。著者らは過去の大学との採用関係を使った追加分析でも因果的な解釈を支持する結果を報告していますが、あらゆる企業で同じ成果が得られると断定はできません。
3. AIに仕事を任せることと、会社が学習することは違う
この研究を身近に理解するうえで、論文の付録にある旅行サービス企業Expediaの事例が参考になります。
同社では、優秀なエンジニアがAIを使って成果を出す方法を調べ、その手法をほかのエンジニアにも広げる取り組みが紹介されています。障害への対処履歴や開発手順などを、共有できる仕組みやAIエージェントに組み込む発想です。個人だけが知っていた仕事の進め方を、組織が繰り返し利用できる形に変えようとしているわけです。
別の事例として、金融機関Morgan Stanleyでは、社内調査資料や顧客との面談記録を、担当者以外も活用しやすい情報に変える仕組みが取り上げられています。これらは著者が公開資料や職務記述から整理した事例であり、それぞれの仕組みが生産性を何%改善したかを厳密に実証したものではありません。
では、全社員が共通のプロンプトを使えば、組織資本が形成されたといえるのでしょうか。必ずしもそうではありません。保存しただけで誰も使わない手順、更新されずに誤った判断を生む資料では、会社の能力が高まったとはいえません。
また、AIが作業を正しく代行できることと、社員自身がその判断を理解し、次の仕事に応用できることも別です。人間が学習しなくても、企業固有の知識を組み込んだ仕組みが再利用できれば、組織資本の一部になり得ます。 反対に、AIサービスが使えなくなった瞬間に業務が止まるなら、能力が蓄積されたように見えても、会社としての継続性には課題が残ります。
重要なのは、AIに何をさせたかだけでなく、その結果として再現可能な業務の仕組みが整ったか、という点でしょう。
4. 組織に残る能力は、将来の利益と同じなのか
組織資本が形成されれば、いずれ業績に貢献する可能性があります。新人が仕事を覚えるまでの期間が短くなる、手戻りが減る、担当者が不在でも業務を継続できる、別の部署にも同じ仕組みを展開できるといった効果が考えられます。
論文が興味深いのは、生産性との関係がすぐには表れず、時間とともに強まっていたことです。著者らは、組織資本が少しずつ蓄積されるため、AI投資の効果も遅れて現れるというモデルを提示しています。さらに、当初の組織資本が比較的少ない企業では、AI投資と生産性向上との関係がより強く見られました。
しかし、組織資本の形成は将来の利益を保証しません。作った仕組みが使われないことも、陳腐化することもあります。新しい仕組みの維持費や教育費が増える可能性もあるでしょう。将来の利益を生み得る能力と、すでに実現した利益を同じ金額として扱うことはできません。
組織資本を評価しなければAI投資の価値を見落とすおそれがあります。一方で、将来の可能性をすべて現在の利益に換算すれば、投資効果を過大に見せてしまいます。
5. AI投資によって「会社に何が残ったか」をどう測るか
では、日本企業では何を記録すればよいのでしょうか。論文が示したのは企業レベルの研究結果であり、個別企業向けの完成された測定表ではありません。以下は、研究の考え方を実務に応用するための指標案です。
- 引き継ぎ時間:担当者が替わってから、所定の品質で独力対応できるまでの日数・時間。
- 教育期間:新人が基準となる業務水準に到達するまでの期間。
- ノウハウ再利用率:整備した手順や業務の仕組みが、別の担当者・案件でも実際に利用された割合。
- 手戻り率:一定の品質基準を満たさず、修正や再作業になった案件の割合。
- 部署間展開:共有した仕組みを実際に利用している部署数。
- 業務継続性:担当者不在時でも業務を続けられる割合や、代替対応にかかる時間。
手順書の作成数だけを増やしても、引き継ぎに時間がかかったり、同じミスが繰り返されたりするなら、業務が改善したとはいえません。手順書が実際に使われ、仕事の進め方や成果に変化があったかまで確認する必要があります。比較する際には、AI導入前後で業務内容や品質条件をそろえることも欠かせません。
AI投資の評価は、二つの層に分けると整理しやすくなります。
第一は、外注費の削減や追加利益など、すでに実現した経済効果です。第二は、教育期間、再利用率、業務継続性など、将来の成果につながる可能性のある組織能力の形成です。後者は当面、非財務指標として追跡し、実際に費用や収益が変化した時点で経済効果として評価します。同じ成果を二重に数えないことも大切です。
これまでAI投資では、導入したツールの数や、社員が節約した時間が分かりやすい成果とされてきました。今回の研究が加えるのは、長い時間をかけて企業の中に残るものにも目を向ける視点です。
AIを使ったその日の仕事が速くなったか。さらに、その経験は次の担当者、次の部署、次の仕事にも生きるのか。 この二つを分けて追いかけることが、AI投資の長期的な価値を見極める出発点になると考えます。
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主な参考資料
- Tania Babina, Alex X. He, Renhao Jiang(2026年8月)*Canaries in the Gold Mine: Early Productivity Gains from Artificial Intelligence Creating Organization Capital*, NBER Working Paper No. 35684. https://www.nber.org/papers/w35684
- 本文の主要な実証結果:原論文Table 2(p.52)、Table 6(p.56)、Table 7(p.57)。組織資本の定義・測定:本文第2・4章、付録B.1~B.2。企業事例:付録B.3(特にMorgan Stanley、Expedia Group)。
※本研究はNBERのワーキングペーパーであり、2026年8月公表時点で査読済み論文として刊行されたものではありません。